「ねぎさん」と、たまにお年寄りから呼ばれます。 禰宜(ねぎ)は、昔は神主さんの下、祝(はふり)の上の神職です。
「ねぎ」は、祈ぐ(ねぐ)からきています。まぁ祈るのがお仕事です。が、実は、毎日の一番の仕事は、お掃除であります。
それはさておき、時々あれこれとつぶやくのでお聞きください。
昨年12月に当神社で行った講話「薬膳料理」で、講師の先生が次のようなことを言われました。
「メチャクチャに食べたくて、食べるときがある。メチャクチャに食べたいときは、体が疲れている。メチャクチャ食べてしまうのは、気持が制御できないときである。体も心も疲れているときは、胃腸も当然疲れている。疲れている胃腸に、メチャクチャに食べると負担がかかる。その結果、病気になる」
これは、神道の「穢(けがれ)」と通じると思いました。「穢」と耳にすると何か汚いものを思い浮べがちですが、「穢」とは「気(け)が枯れる」ことなのです。気が枯れる、つまり、生命力が弱くなることですから、前述の病気になる過程の話は、分かりやすい「穢」の説明といえます。
お客様に「色々いやなことが続いたり、悪いことがあったりするから厄払いして下さい」と言われます。しかし、残念ながら神社で指す「厄祓い」は、厄年の方を中心としたご祈祷であって「悪魔退散、魔物退散、えいっ!」といったようなイメージの何か魔物や悪霊を追い払うのとはちょっと違います。
穢が生じると、それが罪となる。なぜなら、気が枯れたときは過ちを起こしやすくなり、その過ちの程度がひどいものは罪となると考えるからです。ですから、その罪や穢を「お祓(はら)い」します。「祓い」を現代の分かりやすい言葉で言うならば「リセット」でしょう。悪いものを取り除くのではなく、祓い清めて清浄な状態にして一からやり直しましょうということです。
祓いの起源は、イザナギノミコトが、死んだイザナミノミコトを追って黄泉(よみ)の国へ出かけたところ、死んで腐敗したイザナミノミコトの姿を見て「穢」に触れたので川で「禊(みそぎ)」をして身を清めた話です。
この禊を最小限の手間で行っているのが、手水なのです。ですから、水が冷たいからといって手水を行うのを省略してしまっては日常の罪、穢をつけたまま神様へ近づくことになってしまいますのでご注意を!
初詣にはたくさんの方がお参りされます。大晦日に半年の罪、穢れを清める神事「大祓(おおはらい)」が行われ、一年をリセットして新しい一年が始まる最も良い時期なわけです。
年も押し迫った28日くらいからお参りされる方が、けっこういらっしゃいます。年末にお参りされる方は来年のお願いをするというよりも、今年一年を無事に過ごせたお礼でお参りをされているのでしょう。神様に対するあるべき基本の気持ちはやはり、「感謝」なのだと、ご参拝の方の姿勢から学び、我が身を恥じてしまいます。
「今頃そんなことを書かれても遅いじゃないか」と言われそうですので、一つご提案申しあげます。新年の願い事をされる前にまずは、「去年一年間お守護りいただきありがとうございました」と神様にお伝えして下さいませ。お正月で超多忙な八百万(やおよろず)の神たちも、きっと気持ちある人の心の声に耳を傾けてくださることでしょう。
掲載の記事・写 真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権は深川神社またはその情報提供者に帰属します。